janvier 27, 2007
卒業制作


水・木・金と4年生の卒業制作発表会。普段は学生が足を踏み入れることのない9号館2F豪華なフロアを借り切った試みは、混乱しながらなんとか終了した。みんな実力はもっとあったはずなのに、その半分も力を出せないままに。
設営に関しての不手際も、期待して見に来た来場者らに対しても学生ともども反省が残る後味の悪いものとなってしまったけど、孤独な中で最後まで諦めなかった学生らには、素直に「お疲れ様」と言いたい。
4年生の卒業制作がいまひとつ盛り上がらないのは、結局のところ、みんな「本気」になるだけの要因が足りないってことなんだろう。それは目指すべき晴れの舞台が無い中での緊張感や焦燥感が足りないせいかもしれないし、場所が無い故の周囲の刺激不足かもしれない。自分の中に起こるみんなを驚かせたいという欲求や、ひとつのことに打ち込む集中力や決断力が足りないせいかもかもしれない。とにかくいろいろな問題があるんだろうけど、卒業制作をめぐるいろいろな環境に対して、自分の中での葛藤をいろんなことと天秤にかけたりした結果、考えるのがめんどくさくなって適当になっている部分はあると思う。
それでもなんとかなってしまう、って現状(必修ではない)がそもそもよくないってこともいえるが、しかし、他力本願的な強制力を欲しているとすると、それはそれであまり幸福なことだとは思えない。他のゼミも同じで、他の先生に聞くと似た問題を抱えているみたいだ。
やってるときは大変でも、卒業式の頃になってから、達成感や、やり残した思い出とと共に学んだことの意味がちょっとだけ分かったりするものだけど、やがて就職して給料と労働を換算するような思考回路になってからは、むやみに時間をかけられた若い頃の気持ちはもう二度と味わえない。ここまで自分で決めることと向き合うのは、一生に一度きりの出来事なのである。いつか時間が経ち、なにか道に迷うようなことがあったら、卒業制作の頃地道に考えていたことを振り返って欲しいと思う。
終了後は、4年生の送別会&2.3.4年の交流会。

去年やって反省もあったので、もうセッティングするのはやめようかともおもったけど、以外とその後ぽつぽつとその飲み会を発端にした交流のきっかけがうまれており、ちゃんと意味があったらしいと聞いて、教員がやらず誰がやる、ってことで再チャレンジ。上平研2006、2007、上平プロ2006、2007、プラス飛び入り数名の4組織を混ぜる。みんな自分らの代だけで閉じがちなところがあるので、学部が繋がっていることを自覚するためにも、たまには縦の繋がりはつくらないと。
4年生にとって、卒業を祝ってくれる後輩がいるってのは幸せなことだとおもう。
ただ毎度ながら時間が短く、せっかくいろんな人たちにあつまってもらったのに深い話しはできなかったようなのは残念。( I君、申し訳ない)
参加者のみなさん、お疲れ様でした。
投稿者 kamihira : janvier 27, 2007 01:44 PM
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コメント
おつかれさまでした。
卒制の「ほんとうの価値」は、やったひとだけが、後からじわじわと感じることができるのだと思います。
「必修」は、確かにひとつのモチベーションにはなるけれど、内容に関してどこまでとことんやったかは、本人にしかわからないことです。(たとえ必修でも)このへんでいいやと思って手を抜いたら、到達点はたかが知れています。質を高める努力をせずに‘お気楽に’やったら、得るものは多くないでしょう。
卒制でできあがったものが成功か失敗か、あるいは、先生や他人からどんな評価を受けたかは、個人の「学び」の面から見れば、実はそれほど重要なことではないのです。卒制のほんとうの成果や意味や価値は、自分から進んで体験し、本気で取り組んだ本人だけが知ることができ、味わえるものだと思います。(^^)
投稿者 よしはし : janvier 27, 2007 11:52 PM
ありがとうございます。
少ないと思いますがこのお言葉は読者の学生らへも届いたかと思います。
なるほど必修かどうかは我々の言い訳でしかなさそうですね。
学生には、単位じゃない卒制の価値に気が付いて欲しいです。まずはそういう文化を作りたいなぁ。
来年度のみなさん、一緒に頑張りましょう。
投稿者 かみひら : février 2, 2007 08:03 PM