juin 16, 2006
教育実習・高校訪問
昨日は、教科「情報」の教職をとっているゼミ生のSさんの研究授業を見学するため、はるばる青梅近くまで行って来た。
教え子の晴れ姿に立ち会えるのは、自分にとっても初めての機会なので楽しみにしていたわけだが、午後に始まったSさんの研究授業(学習内容は「プレゼンテーション」)は、高校生を前にして、実に立派なものだった。
数ヶ月前のこと。就活も大変だし、とりあえず教職に付くつもりはないので、2週間以上も拘束される教育実習はもう辞退しようか迷っている、と彼女に相談された。無駄なことに時間を割かず、目の前の難関に集中したほうがいいのではないか、という迷いは至極当然のことで、無理もない。
そう思うのなら行かなくてもいいんじゃないかな、と言いかけて、ちょっと考えた結果、僕は無謀を承知で教育実習に行くことを勧めたのであった。
確かに就活は重要なのだけど、大部分が会社側の一方的な都合やジャッジによって一喜一憂するだけの他律的なものであるのに対して、教育実習は、教師側の視点を体験するだけじゃなく、「現場」という圧倒的な、まさに圧倒的なリアリティに対面することでもある。それは、それまでの自分がまったく知らなかった自分と出会う可能性をもった(誰でもは経験することができない貴重な)機会である。冷静に考えれば、どちらが長い人生において真に豊かな経験かは言うまでもない。
ほとんどの学生は、さしたる経験もないまま、それまでの物差しだけで自分に出来ることを自分で勝手に決め付けている。しかし本当は、そういう先入観を否応なく引っぺがされて現場に入り込む中で、自分が対応しなきゃならない「状況」によって人の能力は急速に育てられるのだ。若いうちにいろんな経験しろというのはそういうことだと思う。向き不向きとか、それぞれの職能で得られる達成感というのはやってみないとわかりっこない。
大学4年の今の時期で見ると、卒業後に直結しないことをやるのはロスなのは間違いないのだけど、本当に大事なのはその先だ。大学を卒業した後、どんな仕事していく上でも、誰もがいつかはステップアップを考える日が来る。それは何年後かはわからないけど、絶対に来る。その分岐点にさしかかった時に、かつてのロスの中で得た経験が必ず君を助け、力強く支えてくれるだろう・・・というのが僕の考えだった。(これは卒業制作のゼミで学生に接する際のポリシーと同じだ)
そう考えるのは他でもなく僕がそうだったからである。先生という人種が大嫌いだったのに教育学部に行ってしまい、胡散臭い(と当時思っていた)教育系の講義を避けまくっていたけど、最後に逃げられずに観念して行った教育実習で、学ぶ側からは全く見えなかった現場のプロの姿を見て、目からウロコが落ちた。その衝撃は今でもよく覚えている。そのとき初めて、ああこの人たちは教科書片手に適当に偉そうなこと言っているだけじゃないんだ、人が理解していく過程、そして人間として成長していく過程をちゃんと把握しながら手助けする仕事なんだと知った。当時の4週間分の教育実習記録ノートは今でも僕の宝物である。
このときの経験が後に会社員から大学教員に転職する時にも助けてくれたし、さらに今に至っても、情報のデザインとして「人がどう理解していくか」を考える際の見方に大きく影響を与えている。デザインやりたいから教育なんて関係ないよ、と最後まで逃げていたら、今の自分はないことは間違いない。あらゆる経験と今の仕事は、時間を隔てながらゆるやかに繋がっている。
そんな経緯があった後に、Sさんは教育実習に行くことを自分で決め、就活と卒業制作とさらに僕らが進めている企業との共同研究プロジェクトなどで忙殺される合間を縫って、(途中病に倒れながらも)せっせと実習の準備をし、2週間を終えて無事に昨日の最終日を迎えるという偉業を成し遂げたわけである。
高校に見に行く前には内心不安もあったが、実際に教壇に立っているのを目の当たりにすると、僕が知っている2週間前からの別人のような成長に思わず目を見張った。明らかに顔も声も以前と違っているし、様々な状況に立ち向かう中で得がたい経験をしたんだろうな、と思う。

学生が成長する姿を見ると、指導教員としても心から嬉しいものだ。
授業の最後に「私は今日が最後ですので・・・」と生徒に話している声を教室の後ろで聞きながら、自分の10数年前の記憶もフラッシュバックしてきた。急流の日々の中では忘れていた感覚で、ちょっと目が潤んだ。
Sさんお疲れ様でした。
二日後はゼミの中間プレゼンです(笑)
投稿者 kamihira : juin 16, 2006 11:44 PM
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